「西武・そごう」の「女の時代、なんていらない?」に大きな違和感が残るのはなぜか。

元旦に公開された西武の広告が賛否を呼び、物議を醸しています。生クリームのパイ(?)を投げつけられた女性の写真に「女の時代、なんていらない?」というキャッチコピー、つづくボディコピーにはこうあります。

女だから、強要される。
女だから、無視される。
女だから、減点される。
女であることの生きづらさが報道され、
そのたびに、「女の時代」は遠ざかる。

今年はいよいよ、時代が変わる。
本当ですか。期待していいのでしょうか。
活躍だ、進出だともてはやされるだけの
「女の時代」なら、永久に来なくてもいいと私たちは思う。

時代の中心に、男も女もない。
わたしは、私に生まれたことを讃えたい。
来るべきなのは一人ひとりがつくる、
「私の時代」だ。
そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。

わたしは、私。

まず、率直な感想を言えば「いい広告とは言い難い」と思いました。いい点を先に書くならば、「元旦の新聞広告一面を使って、この女性問題に切り込もうとした点」につきます。だからこそ、ここまで話題になっているし、そこに挑戦しようとする「何か」を感じるとることができます。その姿勢はすばらしいものであることは変わりません。

同時に、とても「もったいない」広告だと思いました。これを読んだ多くの人は(ツイッターのコメントを見てわかる通り)、疑問を抱く、もしくは不思議な違和感(モヤモヤ)を抱いています。

一つ目は、主語への違和感です。

「この私たち、って誰のことですか?」って思った人は多くいるようです。これは西武としての「私たち」なのか?それとも女性を代表する「私たち」なのか?

僕の周りでこの広告を好意的に捉えた女性は「自分の言葉」として置き換えて読んでいた、と言っていました。なので、制作主は西武ではなく、女性を代表して書きたかったのかもしれません。

しかし、西武が出稿している広告である以上、「主語は西武」と捉えるのが普通だし、最後に「ワクワクしませんか?」と言っている箇所は間違いなく西武側の言葉です。さらに「わたしは、私。」と言っておきながら「私たち」と途中で出てくるので余計に混乱します。

この「私たち」を、「読んでいる女性自身」ととらえさせるのは、無理があるし、それを目的にしているのだとしたら、シンプルに文章に欠陥がある気がします。

もう一つは、問題を放棄してしまっている違和感。

二段落目の「今年はいよいよ、時代が変わる。本当ですか。期待していいのでしょうか。」と急に「期待」しはじめてしまいました。この流れがとても不思議です。歴史を持ち、巨大な組織を作り、社会を動かせる側にある西武は、期待する側でなく、期待される側にあるべき会社のはずです。

さらに三段落目まで続き、結論としては「時代の中心に、男も女もない。わたしは、私。」となります。この結論により、「女性の社会進出にまつわる問題」を放り投げてしまっているように聞こえます。

女性の努力が報われない社会構造があるからこそ、それを改善する努力をするべきなのではないでしょうか。先ほども書いたように、個人に比べれば、西武はそれができるパワーを持っている企業でもあります。

最後に、具体的なアクションがないことへの違和感。

「広告よりも行動。」それが広告界のこれからのテーマだと思います。行動を伴わない言葉は、広告であれ、個人であれ、空虚です。広告よりも、行動で示してくれたほうが、今の時代、よほどいい広告になります。

例えば、女性の生活必需品(生理用ナプキンなど)を、軽減税率に加える活動をする。例えば、会社に役員に女性を多く抜擢する。例えば、活躍している女性たちの多くを広告に起用する。西武にできることはきっとたくさんあります。

簡単に書きましたが、上記を実現するのが難しいことはもちろんわかります。だからこそ、広告としても意味を持つはずです。

「女の時代」を前に進めたFearless Girl

このテーマである限り(酷なことだと思いながらも)、2年前に現れたFearless Girlと比べてしまいます。

いち企業が仕掛けた広告でしたが、女性の社会進出へ切り込みました。たった一つの銅像を設置するアクションは、12週の間にTwitterのタイムラインで46億回、Instagramで7億回以上表示された、その結果として、301人の女性の取締役が増えたそうです。その仕掛け人である女性の言葉です。

何よりも重要なことは、FearlessGirlを設置してから(クライアントの投資対象企業のうち)新たに301人の女性が取締役になったという事実です。そして28の企業が、今後女性を役員にすると手を挙げました。世界は着実に変わっている。私はそれが嬉しいし、誇らしいんです。

行動により、世界は着実に変わっていきます。例え、それが小さな一歩で、進んでいるように見えなくても、世界は着実に変わっていきます。

広告の中に、「報道されるたびに遠ざかる」と書いていますが、報道されたことだって進歩です。小さくささやかな一歩かもしれません。でも報道されたことにより、問題が明るみになったことは前進です。

確かに問題は山積みです。女性を蔑ろにしてきた社会は確かに存在しています。あまりにも膨大なので、それらは解決しているようには見えないかもしれません。でも例えば、日本の上場企業における女性役員数は少しずつ伸びてきています。まだたかだか4%ですが、6年前の1.6%に比べたら伸びていることは確かです。

長い歴史で見れば、先人の女性たちが戦ってきた結果、参政権を手にし、社会進出を少しずつ果たしてきたはずです。問題がある、ということはそれに見合う未来がある、ということでもあります。

全体で見て小さくても、一つずつ行動し、努力をし、より豊かで鮮やかな未来へと近づいていく。歩いている限り、その未来は近づいてきます。少しずつ、でも確実に。

そうやって想像するほうが、ワクワクしませんか。

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投稿者: MakinoKeita

博報堂コピーライター(退職) / カラス代表/エードット役員 / 文鳥文庫の店長 / 企画とデザインと文章が好きです。 Twitter / KARASU